身勝手な自由と、偽善の正義を振り翳す天使の片翼をもぎ取った。
 お前に天使を騙る資格などない。

 お前は可哀想なステラに無慈悲な制裁を下した悪魔だ。

 逃がしはしない。
 許しはしない。

 銀に美しく輝く剣が天使の心臓を貫く。
 眩い光は悪魔を浄化し、無に去った。

 これで悪夢は終わる。

 そう、思った。




『本艦はそちらの指示に従い、投降します』


「キラは!?」
「大丈夫だ。私がとっさにルージュで救出してきた。生きてるよ」


  悪魔は不死身だとでも言うのだろうか。




 捕虜とされた、かつての英雄。
 フリーダムのパイロットは、先刻目覚めて、親友から自分の置かれた状況を聞いていた。
 シンは医務室から退出するアスランを確かめると、気付かれないように入れ違いで、医務室に侵入者した。

 そこで聞こえた独り言。

「フリーダム、壊れちゃったんだ…どうしよう。あれが無くなっちゃったらぼくは…」

 声の主は、包帯だらけの少年。
 柔和そうな顔立ちに、消沈ぶりが追加され、脆弱な印象を持たされる。が、彼こそがあの憎き敵なのだ。

「自分の身体より、機体の損失のがショックですか?」

 シンの声に、彼は目を見開いて顔を上げた。
 だが返ってきたのは、予想に反して落ち着いた声だった。

「うん。だってフリーダムがなきゃ、ぼくの存在なんて無意味だから」

 そして抑揚のない声で言う。

「何も守れないぼくなんていらない」

 その言い方はまるで

「…貴方は自分のこと嫌いなんですか?」
「どうして?」
「貴方を殺そうとした俺にたいして怒らないから。気付いているでしょう?俺がインパルスのパイロットだって」

 これだけ憎悪の瞳で射ていれば嫌でも気付くはずだ。
 彼はこくりと頷いた。

「だって君はぼくが憎いんでしょう?ぼくは憎まれることばかりしているから、自業自得だよ。怒る資格がない」

 当然のように述べる言葉にイライラする。

「なら、例え今俺が貴方を殺しても文句はありませんよね?」

 シンは本気で彼に詰め寄った。
 彼は僅かにさえ逃げようともせず、近付いてくるシンの手をジッと眺めながら言った。

「うん」

 シンの手が彼の首に巻き付く。

「でも遺言書いてからでもいい?」
「…………は?」

 突拍子もない珍要求に、唖然とさせられる。
 時間稼ぎか?
 にしたって、これから殺されるかもと言うのに、「掃除手伝ってくれる?」「宿題終わらせてからいい?」くらいの軽さだ。
 なんだか気が抜けてしまった。

「鉛筆と紙あるかな」
「その辺にあるんじゃないですか?」

 投げやりに答える。彼は本気で遺言書を書くつもりらしい。
 掴み所のないズレた人だ。

「!」

 外からグラディス艦長とアスランの声が近付いてくるのが聞こえる。
 どうやら今日のところはタイムリミットのようだ。

「せいぜい次に俺が来る時までに、書き上げといてください」

 次逢う時は殺す。言外にそう宣告した。
 彼はこくんと頷いた。達観してるようにも、無垢なようにも見える摩訶不思議な表情からは、意味を理解して頷いたのかが、さっぱり分からない。

  が、そもそも理解なんてする必要なんてないんだ。

 彼はステラを殺した非情なる裁きの墮天使。
 ステラの敵(かたき)。
 シンの敵(てき)。
 それ以外の何者でもない。



 シンが医務室から退出しようと扉の前に立った所で、入れ違うようにアスランの姿が、開いた扉の先に現れた。

「シン!?」

 チッ!思わず舌打ちする。一歩遅く、見つかってしまった。
 シンは医務室への出入りをアスランから先手を取られ、禁じられていた。もちろん私怨に因る彼の親友への傷害を恐れてだ。正にその通りの事が目的で医務室へ足を運んだシンは苦し紛れの言い訳を考え始めた。  矢先、後ろで派手に落下音がした。

「キラっ!?」
「大丈夫。いたたっ。ペン見つけたから、取ろうとして…落ちちゃった」
「馬鹿!大人しく寝てなきゃダメだろ!」

 アスランは直ぐさまに、シンを押し退けて、ベットからずり落ちた彼に手を貸しにいく。 その隙にシンは医務室を出て行った。

 ある意味、殺そうとしている彼に助けられてしまったと思いながら。




 夜更け、シンは再度、医務室に侵入した。今度こそ、彼を殺るために。

 彼は静かに眠っていた。
 月明りに照らされた顔は蒼白く死人のようで、シンは思わず彼の口元に手をやり、呼吸を確認する。

 息はある。
 良かった。
 俺が殺るんだ。
 万が一にも自殺なんかされてしまったら、この怒りを何処にぶつけたらいい。

 感情のままにやってきたシンは、別に完全犯罪など考えていないーー彼を殺すことを罪だとは思っていないーーので、手ぶらだ。
 絞殺は失敗するかもしれない。もっと確実にやれるものはないか。シンは辺りを見回して、

「あ」

 凶器ではなく、机に置かれた手紙を数枚発見した。

「マジで遺書?」

 シンは一瞬のためらいの後、手紙を手に取った。
 プライバシーの侵害に罪悪感を感じるが、純粋な興味心の方が勝っていた。
 知る必要などないと思う一方、雲のように掴み所のない、この人を知りたいと思ってしまう天の邪鬼な心。
 電気を付けるわけにもいかず、月明りだけを頼りに、目を凝らして文字を読む。

 1枚目はシンも知る、彼へ当てた手紙だった。


『アスランへ。
ぼくがいなくなったら、ラクスとカガリ、皆のことをお願いします。押しつけてごめんなさい。でももう君しか頼める人がいないから。最後まで我儘ばかりで本当にごめんなさい』


彼らが旧知の中だとは知っているので、これは予想できる内容だった。

二枚目も一応はシンも知っている人物。


『カガリへ。
今の君ならきっとオーブを守れる。最後まで力になれなくてごめん。君と血を分けた姉弟、双子で本当に良かったよ』


 前半部分は腑に落ちないが、問題は後半。…双子?言われて見れば似ている気もするが、確か彼はコーディネイターだと聴いた。ナチュラルとコーディネイターの双子なんて、有り得るのだろうか。
 疑問が浮かび始めながら、三枚目に捲る。

 それはシンにはもういない、両親へ当てた手紙だった。


『父さん、母さんへ。ぼくはもう真実を知っていました。ぼくが本当の子供じゃないこと。研究所の人工子宮で造られた異端な存在だという事も。そんなぼくを気味悪からずに、育ててくれてありがとう。愛してくれてありがとう』


 研究所?
 人工子宮?
 その単語によって蘇るのはあの地球軍の研究所施設。悍ましい痕が残る人が冒した禁忌の証拠。
 ステラはそんな場所にいた。

 ーーこの人も?
 この人も可哀想なステラと同じくーー?

 考えてはダメだ!
 それ以上考えたら、ダメなんだ!!
 思考を中断する為に、最後の手紙を読み始めた。


『ラクスへ』


 ラクス…ラクス・クライン?

 何故彼がラクスに手紙を遺すのか。
 まさか人生最後にファンレター…ってことはないだろう。アスランとラクスは婚約者なのだから、彼とラクスが知り合いでもおかしくはないが、ラクスは議長と共にいる。彼を撃てと命じたのは議長なのだから、ラクスとは敵でしかないのではないか。

 考えるより読んだ方が早い。
 シンは目を続きに走らせた。


『ラクスへ もしこの手紙が君の手に渡ったなら、ぼくはもういないけど、君は無事だという証拠だ。ぼくはとても嬉しい』


 ?
 わけがわからない。


『例え君を知らない世界の全ての人が偽者を本物とし、君を偽者に見ても、ぼくにとってラクスはラクスだけだ。それを忘れないで。無茶だけはしないで。戦わなくていいから、議長の手から逃げ切って、君には生きていて欲しい』


 偽者?

 議長と共にいるラクスは偽者で、本物は議長に命を狙われている?
 そんな馬鹿な!
 だがシンは、彼と初めて出会った慰霊碑前の時の記憶を呼び起こした。軽やかに歌い、花を手向け、彼の横に寄り添っていた…あの少女は、ラクスに瓜二つだった気がする。


『もう祈る事しかできない。君を守れないぼくで、ごめんね。今度こそ守りぬきたかったのに。君を守ると決めたのに、約束したのに』


 それが一番の未練だと延々と紡がれる『守る』という言葉。


 守る
 守るから
 君は俺が守るから


 ダメだ!
 ダメだ!!
 ダメだ!!!

 彼の境遇が守れなかったステラとシンクロし、彼の想いが守る為に戦っていたシン自身とシンクロする。

「ぁぁあ!!」

 違う!これは敵だ!
 憎い敵!敵!!敵!!!
 俺と同じように、大切な人を守れない苦痛を味わい、死ねばいいんだ!

 錯乱状態に陥ったシンは、凶器を探す事もせず、彼の首を両手でギリギリと絞める。
 彼の瞳が開く。
 苦しげに顔を歪める…が、
 やはり昨日と同じ。全く抵抗がない。

「なんか言えよ!」

 正気に戻ったシンは少し握力を弱める。彼は咳き込み、呼吸が整うと、ぼそぼそと言った。

「遺言書いてたら思ったんだ。ぼくまだ死ねないなって。こんなぼくにも未練はあるみたい。ていうか約束を破るのが怖いのかな」

 言っていることと、行動が一致していない。

「じゃあ抵抗しろよ!」
「でも、こうも思った。皆より先に死んじゃえば、辛くない。苦しむこともない。例え彼女がぼくが死んだ後に殺されても、ぼくはそれを知らずに終われる。また絶望を味わずに済むって…」

 ……ああ。そういうことか。

「っはは!」
「?」

 笑い出したシンをキラは、さも不思議そうに見る。

「君はぼくを殺したい。ぼくは死にたい。利害が一致しているじゃない」

 ふざけるな。

「貴方は大義名文欲しさに俺を利用しようとしているだけ。自殺は逃げたことになる。でも、殺されたなら仕方がない。逃げたんじゃない、仕方がなかったんだと、自分に言い訳できますものね。貴方はそりゃあ、楽ですよね!」

 本人に、感謝されながら実行する復讐なんて、手加減されて勝ちを譲られる真剣勝負と同じくらい屈辱的なことだ。

「………」

 沈黙は何より明確な答え。
 第一この人が望んでいるをしたって、復讐になりはしない。
 あの世で感謝されるなんてのも、冗談じゃない。


「殺してなんてやらない」


 これは境遇や想いの類似からの同情などでは断じてない。
 彼だけ解放されるなんて許せないという怒りだ。
 だから冗談半分で試しに言ってやった。

「あんたじゃなくてラクスを殺してやる」

「!」

 彼の顔にはっきりと動揺が走る。効果覿面のようだ。初めて見た人らしい表情に、シンは満足する。

 見るならこの人の満足げな死に顔より、絶望する様を見たい。

 シンはフリーダムを、天使の皮を被った悪魔だと称していたが、自分こそが、近い未来、正にそれななることを知らない。

 似て対なる二人は、今はまだ相手の名前すら認識していない。

「せいぜい守る為に、頑張って足掻いてくださいよ」

 そう言って、シンは、彼の書いた手紙を総て破り捨てる。紙吹雪のように舞う屑は彼に降り注がれる。

 シンはまた、キラを殺さずーー殺せずに退出していった。
 その背に彼は言う。


「君は…ぼくに似ているかもしれないね」
「冗談じゃありませんね」


 しかしシンにも分かっていた。
 今や彼に対する一番の想いは、憎しみや同情でもなく、同族嫌悪だということに。