「わたくし、たびをしてみたいですわ」
「たび?」
「ごほんでよんだんですの。いろいろなくにをまわるんですって」
「じゃあぼくがつれてってあげる」
「ほんとに?」
「うん。ぼくがおとなになったらひとりでらくすをまもれるくらいつよくなるから。そしたらいっしょにしろのそとにあそびにいけるよ!」
「わぁ!やくそくですわよきら」
「という約束を覚えていますか?」
「ええ。姫」
あんな馬鹿なことを宣っていた自分なんて正直忘れたかったけど。
この桃国の第一王女を危険な旅に連れだそうだなんて、今なら絶対言わないのに。
あの頃のぼくはまだ無知で、如何に自分が身分不相応な態度を姫に取っていたかをわかっていなかったんだ。
しかし姫はとっくに忘れていると思っていた。というか忘れていて欲しかった。
今までその話題を出したことなんて一度も無かったのに、何故今になって突然?
ぼくの返事に姫は嬉しげ両手を胸元で合わせた。
パンっと軽やかな音が鳴る。
「よかったですわ。では行きましょう」
「へ?」
「もう私逹大人でしょう?二人で旅に出ましょうキラ」
……ホンキ…なわけないよね。
姫は純粋だけど、とても聡明な方だ。
きっとぼくをからかっているに違いない。
「御冗談を。そんなのは無理だって姫様だって解ってらっしゃるでしょう?大人なのですから」
スッと、姫の口許から笑みが消えた。
「姫?」
人形のように無表情な姫をぼくは初めて見た。
それはぼくの言葉のせいで。
つまり彼女はーー本気で?
「私、もうすぐ紅国の王子と結婚しますわ」
「……知っています」
それを姫が嫌がっていることも。
だけど、
「国の為に嫁ぐのは姫の役目」
どうにもならないことだってある。
「……ええ。そうですよ姫」
彼女は王族で、紅国との同盟の為にも嫁ぐ義務がある。
幸い紅国の王子は容姿端麗でお優しく知性溢れる完璧な方だと訊く。
きっと姫を幸せにーー…
「ですから姫という地位を捨てます」
「姫!?」
空色の瞳はぼくを真っ直ぐ見つめて本気を語っている。
逸らしたくとも逸せない強い眼差しで。
「だって私、キラが大好きですわ。国よりもキラが大切なんです。キラと離れたくなんてありません!」
好き、と。
言葉にして言われたことは今まで一度もなかった。
けどぼくはラクスの気持ちに気付いていて、彼女もぼくの気持ちを知っていた。
それでも口にしなかったのはお互いの身分故の暗黙の了解。
ぼくは姫の為にもその想いに答えてはいけない。
「でしたら私も騎士として姫様に随行できるように王にお願いしてみますから!…姫の願いも叶います。紅国に行くまで一緒に旅をしましょう。そして紅国で生涯貴方に仕えます。ずっと一緒です」
ずっと一緒にいられるけど、ずっと苦しい。そうなるのはわかっている。でも、それでもぼくはラクスといたい。
姫は「違う!」と首を激しく振った。
「私の願いはキラと二人でずっと旅を続けることです!そして貴方と結ばれること」
「姫……」
ぼくは目を疑う。
姫が。あの可憐な容貌とは裏腹に信じられないほど強い心を持った姫が涙を流している。
ぼくが強い姫を泣かせてしまった。
こんなにも弱いぼくが。
「紅国には妹に嫁いで貰います。彼女は私と違い、本当に紅国の王子様に好意を抱いているようですから」
姫は涙に濡れる目で哀しげに……不安そうに聞いた。
「キラは?キラはこんな我が儘な私のことがお嫌いになりましたか?」
キライ。嘘でもそういえば彼女は諦めて紅国に嫁いでくれるのだろうか。
キライ。
キライ。
きらい……ダメだ。声に出ない。
彼女の為だとわかっていても、心にも無い嘘は吐けなくて、
「いいえーーーずっと、ずーっと、姫を……愛していました」
溢れ出てしまったのは心の中に隠し続けてきた本心だった。
ラクスを諦めさせるどころか、ぼく自身が諦め切れなかった。
ぼくの告白に、暫し呆然と立ちすくんだ姫は念を押すように尋ねる。
「私は騎士である貴方に国と地位を捨てろと言う酷い要求をしています。それでも?」
一度吹っ切れると、もうラクスを好きだという、何にも勝る強い想いさえあれば、何だってできる気がした。
「はい。国も地位もいらない。ずっと貴方だけが欲しかった」
ぼくは跪くと、彼女の手を掬い、甲に口付けを落とし誓いを立てた。
「これからは貴方だけの騎士です。姫」
すると姫は優美に微笑んで、ぼくに掬われていた手を優しく握り、ぼくに立つように示した。
ぼくは立ち上がり彼女を見下ろすと、同じくぼくを見上げた姫はふわりとぼくの頬に唇を当てた。
「ひめっ?」
突然の姫からの口付けに舞い上がってしまったぼくは、トマトのように真っ赤になってしまっているだろう。
「これからは貴方だけの姫です。キラ」
でも、と姫はぼくの口許に指を当てて、茶目っ気たっぷりにこうお願いされた。
「これからは姫じゃなくて、昔みたいにラクスって読んで下さいな」
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