せめて笑顔のままで 2









 プラントのザフト本部にいるキラとシンの元に一本の緊急通信連絡が入ってきた。

『大変です!ヤマト隊長!ラクス様がっ!』

 ラクス付きの護衛官が寄越した救命の声は、次第にキラの顔色を悪天候へと変えさせていった。
 彼は最悪の嘘八百を並べ立てたのだ。

『ラクス様が狂った』
『ナチュラルを虐殺しておられる』
『私達にも一緒に殺せと命令なさる』

 馬鹿にするにも程がある。

「ぼくはそーゆうブラックジョーク、大嫌いなんです。覚えておいて下さい―――二度目はないですよ?」

 自分のことではどんな中傷や冷やかしも外面上は微笑んで軽く受け流しできるキラだが、ラクスに関する侮辱行為に対してだけは、すぐにキレる沸点の低さを持つキラであった。

「ヒッ」

 隣りにいたシンはキラの本気の怒りを感じ取って、血の気を引かせた。
 シンはキラのブラックリストに載せられたであろう通信相手が、これ以上キラの機嫌を損ねないことを祈った。その彼の命の為にも。
 だが無謀にも護衛官はさらに言い募った。

『本当なのです!ラクス様はっ……狂ってしまわれた』

 まだ言うか。余りにも悲壮過ぎる声が逆に大仰な芝居調に聞こえ、キラは白けた声を返した。

「狂ったのは貴方の方じゃないんですか?」

 もう強制的に通信を絶った方が良いかもしれない。

「私の言葉が信じられないのは解ります!私だって我が目を疑いました!!とにかく現場に急いで来てください!!ラクス様の凶行を止められるのは貴方しかいな」

 声の背後に銃声が響き、向こうから通信が途切れた。

 会話を聞き取っていたシンはおずおずと言い辛そうに声を掛けてくる。

「キラ?今の彼の……本当に冗談なんですか?それにしては……」
「騙されちゃ駄目だって。シンはほんと純粋で素直な性格だね」
「べ、別に俺はただっ!」

 シンの顔は照れか羞恥で真っ赤になった。
 皮肉っているわけでも茶化してるわけでもなくそれはシンの美点だとキラは思う。それがシンの美点ならばキラは自分自身の美点はラクスをどんな時でも信じることだと思う。
 だから、

「ぼくは彼よりラクスを信じるよ」

 だが、銃声が聞こえたことは気掛かりだ。
 もしかしたら彼は誰かに脅されてあんなことを言ったのかもしれない。しかし犯人の要求がキラを指定地に呼び出す事なら、わざわざそんな自分の逆鱗に触れる様な内容にしなくても良いのに。例えば…ラクスを人質に取っているとか。

「!」

 そこまで考えてからやっとその可能性に気付く。さっきの彼はラクスと一緒に居た護衛官なのだ。護衛官の身に害があったのならラクスも!

「シン、現場に向かうから車用意して!」
「はい!」

 キラは自分が描いた状況の仮定が杞憂である事を願った。
 そう。全ては深読みし過ぎの間抜けな空振りで、

「キラは心配性ですのね」

 と笑われれば良い。



 しかし実際のちにラクスの元に着いた時、キラはこう思う。

 まだ見当違いな妄想が当たっていた方がマシだったかもしれない、と。





「………ラ…クス?」



 愛しい人の名を上手く呼べない。



 ラクスは真っ白なドレスを真っ赤に染め上げている最中だった。




 ―――人を殺した返り血で。







「ラクスっ!一体何があったの!?」

 キラの到着に気付いたラクスは、死体を避けながら軽い足取りでキラの元へやってくる。

「キラ。困ってしまいましたの。皆、私の命令をなかなか聞いて下さらなくて」
「ラク……」
「皆さーん!私の声が聞こえてないのですか?早くプラント中のナチュラルを殺して来てくださいな」

 ラクスがこんな事を冗談でも言うはずがない。
 もしかして自分は未だ夢から覚めてなくて、これは闇夜に見る恐ろしい悪夢なんじゃないかとキラの心は現実を逃避し始める。

「ほら、キラも」

 ラクスは血塗れた手でキラが携帯している銃を示す。キラが銃を手に取るつもりがないとわかると、その手はキラの銃へと近付いてきた。

「ラクス!」

 咄嗟にキラはラクスの腕を掴んで止め――熱く生温い感触にゾッとした。

 これは……夢ではない。
 この触感の生々しさは現実だ。

 彼女の気が狂ってしまったのか。いや!そんなことあるもんか。
 キラは真っ直ぐラクスの瞳を覗き込む。
 そうすればラクスに何があったのかが、分かる気がしたのだ。

 だがそれは裏目に出る。


 “ドクン”


「!」

 キラはその生まれからテレパシーのような能力を多少持ち得ていた。
 今までそれはフラガの血を感知するくらいしかできなかったのだが、その能力が今別のものへと開花してしまう。

 キラとラクスは余りに心が近過ぎた。一心同体と言っていい。
 今、キラはラクスの心に同調することができたのだ。
 しかしその強い絆は負の方向へ事態を向かわせてしまい、ラクスに掛けられたギアスはキラの心にも共鳴してしまう。

 瞳を通して、得体の知れない声がキラの脳内に鳴り響く。

「くっ」

 どんどん脳内を占めてゆく命令と、薄れゆく自我。キラは必死に抵抗した。
 だが、

「キラも一緒に殺りましょう?」

 ラクスはいつの間にやら盗ったらしいキラの銃を彼に手渡した。
 ラクスの残酷で無邪気な微笑みにより、キラの理性は遂に奪われる。

 キラは完全に自我を失った。



「そーだね」

 言うが速いかキラは――普段は護身用にという意味しか持たなかった飾り物の――銃を一気に弾が切れるまで撃った。
 弾は数人のナチュラルに辺り、致命傷、重傷、軽傷を与えた。

 そこには何の躊躇もない。

 キラに付従って来たシンは、余りの事態に為す統べなく、変わり果てた上司が起こす惨劇をただ目に焼き付けていた。


 誰もが理解できない“ギアス”現象。


 ラクスに掛けられた“ギアス”はキラにも感染してしまった。
 こんなことは前代未聞。有り得ない!彼女にギアスを掛けた者がまだ生きていて、この光景を見ていたらそう驚愕したに違いない。



 これは奇蹟だ。



 しかし奇蹟と呼ぶには余りにも救いがなく、美しい言葉とは裏腹な惨たらしい地獄絵図だった。

 これ程までに絶望に満ちた奇蹟が他にあるだろうか。


 電柱と化しているザフト軍人達にキラは命令を下す。
 ラクスのように笑ってはいなかったが、無感動に。べっとりと返り血を浴びた姿で。

「あー…皆さん!速やかにプラントに潜んでいるナチュラルを一人残さず殲滅してきて下さい!えっと……命令デス!」

 未だ命令慣れできない拙い口調と過激な内容とのギャップはこの場の非現実感を更に増させた。


 誰もが悪夢を見ているのだろうと思った。


 誰もが早く覚めろと願っていた。


 皆がこれを現実だと思い知るにはキラとラクスがその場にいたナチュラルを皆殺しにし、再度の命令が下されるまでの時間が必要だった。