せめて笑顔のままで 3









「ねぇ。アスラン。ぼくは時々恐くなるんだ」

 二度に渡る戦争が終わり、ザフトに渡ることになったキラが洩らした言葉はアスランにとって意外なものだった。

「お前が?」

 キラが弱音を吐くなんて珍しい。

「何を?」

 尋ねるとキラは己の左胸に手を当てた。

「ぼくを」

 暫く返すべき言葉を失ってしまった。
 それはアスラン自身、たまにキラを畏怖してしまうことがあったからだ。
 アスランの心情を悟ったのか、キラは自嘲するように口の端を上げた。

「力というものは、時に人を歪ませるんだ。ぼくらはそんな人を何人も見てきたでしょ?」

 キラが今頭に思い浮かべているのはギルバート・デュエンダル前議長だろうか。それともラウ・ル・クルーゼか、あるいはアスランの知り得ない誰か……。アスランにとって、力に狂わされてしまった者の代表格は己の父だった。
 キラもいつかあんな風に狂ってしまうと言うのか?

 有り得ない。
 父は母を失ったが、キラにはラクスがいる。ラクスと共にあればきっと……。

 なら――ならラクスが万が一亡くなってしまったら?

 その深い絶望は彼を闇へと突き落とすだろう。
 そのキラを自分は救えるだろうか。

 ラクスのような神々しく天から降り注ぐ光にはなれない。でもせめて闇を優しく照らす灯火くらいになら―――

「アスラン」

 いつの間にか頭を垂れていたアスランが顔を上げると、キラはジッと彼を見つめていた。
 迷いなく澄み切ったアメジストの双眸が強い意思が光らせている。
 あぁ。キラ。俺はお前の“力”よりも、その瞳が怖い。
 いや、その瞳の眼力すら彼の力と言えるのかもしれない。

 その瞳のキラは決意を覆さない。
 いつだって最終的に折れるのはアスランの方なのだ。
 彼がどんな傍迷惑で無茶苦茶なことを言ったって、アスランは聞き入れてしまう。

 それを解っていてキラは言う。



「もしもぼくが道を見失ったら

君がぼくを殺して」



 もしもの話だ。

 なのに何故、こんなにも焦燥が募るのだろう。
 万が一の未来予想がアスランには遠くない現実に聞こえてしまった。

 笑い飛ばすことも、怒る事もできない重みある願い。
 だからこそ聞き入れられる願いではない。

 だが
 それしかないと言うのなら

 彼が狂者になる前の歯止めにすらなれなくても、最期を託してくれるだけの価値を彼に認められているというならば

「親友でしょ?お願い!」

 キラはにっこり笑った。

『宿題忘れちゃった。写させて!お願い!』

 少年の頃と同じ――アスランが答案を見せてくれると信じて疑わない――表情で死をねだった。




 それから数年と数か月――ある日急遽連絡もなしに、かつての戦友、イザーク・ジュールとディアッカ・エルスマンがアスランの元へ深刻な顔で姿を現した。

「……アスラン。落ち着いて聞いてくれ。キラとラクスが」

 イザーク達の話を聞いた時、遂にその日が来た事をアスランは悟った。

「………そうか」
「思ったより驚かないんだな」
「取り乱して欲しかったのか?」
「言っておくが戯言などではないぞ!?冗談を言う為にわざわざ貴様の元へなど来るか!信じられないのは無理もないが――…」
「疑ってなどいない」

 キラが狂う時はラクスが死ぬ時しかないと思っていたが、まさかラクスが狂ってそれが伝染するかのようにキラまで狂うとは―――しかしアスランは思っていたよりもすんなり今プラントで起こっている悪夢を受け入れてしまった。
 キラのラクスへの崇拝と言っても過言ではない愛の深さなら、共に狂うくらい当然のような気がしたのだ。

「どう考えたっておかしいんだ!しかし我々では二人を止められない!!だがお前ならっ」
「ああ。親友として責任を持ってキラを――殺す」
「は?待てアスラン!俺達が何故お前に助けを求めに来たと思う?穏便に事を納める為に――」
「狂った彼等を止めるということは即ち殺す事と同意儀なんだ」

 アスランの静かな一言からは、誰にも覆せない強固な覚悟が伝わってきた。

「……殺すしか残された手段が無いのなら、わざわざお前の手を借りる必要はない。我々が」

 気を使ったイザークの言葉をアスランは制した。

「いや。俺の役目なんだ。これは譲れない」

 アスランは腰に下げた銃に触れながら、席を立った。イザークとディアッカも無言でそれに続いた。
 そのまま三人はプラントへ戻る為に宇宙へと発った。


 アスランはキラのことだけを考えていた。 だから根本的な要因――何故突然ラクスが発狂したかなど深く考えもしなかった。

 だから勿論、まさか先日アスランの元へ訪れた彼が全ての元凶だなんて微塵も思わなかった。彼からの最期の電話さえ、忘却の彼方だった。


 最期まで、歯車を狂わした原因が己にもあると知らずに済んだアスランは幸せだったのかもしれない。

 何せ皮肉にも、のちにアスランは彼の願い通り、プラント最高評議会議長に就任することとなるのだから。



 遠に亡くなった男の手の平の中で踊らされているとも知らずに。