せめて笑顔のままで 4









「おはようシン。今週中にはプラント中のナチュラルを一っ子一人残らず殲滅させたいから頑張ろうね」

 爽やかな朝なのに、シンの目覚めは最悪だった。
 それともこれは夢の続きで、自分はまだベットの中でうなされているのだろうか。
 醒めない悪夢はいつまで続く?

「なんで」
「ん?」
「なんで平然とそんなことが言えるんです!?」
「なんでって言われても……」
「貴方の両親や姉貴もナチュラルでしょう!?」
「………え?」

 キラはきょとんと目を丸くした。
 当たり前のことなのに、さも盲点を突かれたような反応をする。
 少し考える素振りを見せた後、

「でも皆プラントにいないし」

 と簡潔な結論を出した。しかしそれは余りにも穴だらけで矛盾した答えだ。この人はこんなに頭の悪い人では無かったはずだ。

「……本気で言ってるんですか?」
「うん」

 じゃあ、二人がプラントに来たら、あんたは殺せるのか?無理だろう?

「あっ。そういえば不法入国してきたナチュラルって何人かここに拘束してたよね。丁度良いや。殺してきて」

 だがまるでお使いを頼むように残虐な命令を出すキラに、シンは詰問できなかった。

 今のキラなら―――肉親すら情け容赦無く殺してしまうような気がして。

 そんなキラは絶対見たくなかった。まだシンは、彼を信じたかった。


 信じる為に、現実から目を逸らし続けた。









「――――というわけで、逃げて下さい。裏にシャトルを用意しましたから」

 シンはキラの私利死滅な命令を素直に甘受するつもりなどさらさらなかった。
 迅速に不法入国者の脱走ルートを用意すると、彼等の誘導を始めた。
 が、途中で一番後ろを走っているフードを被った少女が転んでしまう。

「っ!」
「大丈夫か!?」

 シンは他の者に先に行く様に促すと、少女の元に駆け寄る。

「立てる?」

 シンは膝を折って彼女の足を見てみたが、どうやらただ転んだだけで捻ったわけではなさそうだ。

「走れそうだな。さぁ急いで。早くしないと――」
「ぼくが来ちゃう?」

 優しい声色はシンの背筋をゾクリと冷やす。
 顔を上げると天使の容貌をした悪魔――キラが銃口を少女にピタリと定めながら、こちらへゆったりと歩み寄ってきていた。
 少女の顔が恐怖で青褪めていく。シンはにすがりついてきた彼女の手を取って立たせると、背の後ろへと庇った。そして退路を守る為に手を広げた。

「行け」

 ぼそりと耳打ちすると彼女はビクリと身体を震わせた後、身体を翻してシンの背から離れた。
 五月蠅い足音がどんどん遠ざかっていく。
 代わりに静かな足音はすぐそこまで近付いてきていた。

「命令に背くの?シン」
「………」
「そこを退く気はある?」
「ありません」
「じゃあ君を反逆者として―――殺すよ?」

 冗談でも脅しでもなく、本気だという証拠を見せる様に、キラは銃の狙いを少女からシンへと変えた。










『殺せ』

 幻聴は心と身体を支配し、キラを意のままに操っている。
 キラは命じられるがままに、一人のナチュラルの少女を殺そうとした。
 だが部下であるシンが上司に逆らってまで、それを阻止した。

 シンはなんて不可解な行動をしているのだろう。
 プラント中のナチュラルを一刻も早く殺さなきゃいけないのに、命令に背き、阻害するなんて。
 そういえばシンって、軍事違反しまくってたんだっけ?問題児だなぁ。
 でもぼくにも人のことは言えないか。似たもの同士なのかなぁー、などと内心ぼやきながらキラは全力疾走してキラから逃げようとする少女を目で追った。

 彼女が被っていたフードが外れて、紅い髪がふわりと舞った。


 ……フレイ?


 先程顔を見ている。フレイには似ても似つかない全くの別人だった。
 そう理解しているのに、同じ長さ、同じ色合いの美しい髪が靡く後ろ姿に、キラはフレイをダブらせてしまった。


『殺せ』


 知らない男の声が耳から離れず、永遠に木霊し続ける。
 それまで特に気にも止めていなかったその声が、酷く耳障りになり耳を掻き毟りたい衝動に駆られる。


『殺せ』


 五月蠅い!!
 フレイを殺せるわけないじゃないか!
 例えナチュラルでも、プラントにいても、フレイのことは守るって約束したんだ!


 ………あれ?


 いつの間にか永久に続くかと思われた声は消え、靄のかかっていた思考がクリアになる。
 しかし洗脳中の記憶の大半も靄と共に飛んでしまい、キラは自分が今何処で何をしていたのか、さっぱり分からなくなってしまった。
 現状を理解しようとして、視線を正面に定めると理解しがたい状況に陥っていた。

「え?……シン?」

 ぼくは何故今、シンに銃を向けているのだろう。

 何をやっていたのかまるで思い出せない。


 最後の記憶はラクス。
 全身に血を浴びたラクスがぼくに銃を手渡して――…


「ぼく…は…」


 断片的にしか残っていない記憶。


「たくさん」


 真っ赤な血がそこら中に飛び散っていている。
 劈く悲鳴と血による異臭。

 皆が

 怯えている。
 畏れている。
 誰を見て?


 ――――ぼくを見ている。



「ころした?」


 記憶のカケラの中のキラは、今と同じように銃を持っていて―――無造作に乱射し、人を撃ち殺していた。










「キラ?」

 キラの様子がおかしい。いや、今までがおかし過ぎたのだ。むしろ――正常なのか?
 キラの瞳から一筋の涙が流れ、頬へ伝った。泣きながら自嘲する。

「まるで殺人人形だね――こんなに早くぼくが狂うなんて…思わなかった」

 怯えと後悔で潤む瞳を見てシンは確信する。あの無機質な眼ではない。
 ではやはり、

「正気に戻ったんだな……よかった」

 キラは自嘲から哀しげな儚い微笑へと表情を変えた。

「うん。今のうちに殺して」

 信じられない要求に一瞬シンの息が詰まった。
 だが、すぐにキラの心情を悟ったシンは、力強く言った。

「大丈夫。キラは一人じゃない」

 ぴくりとキラの肩が揺れる。いつも頼りにしていたその肩が今はとても弱々しく見えた。

「それにキラにはやることがあるだろ?」
「やる…こと?」
「隊長は一にラクス、二にラクス、三、四、五にラクス」

 この人はそういう人だ。毎度のようにラクスの惚気話をし、どんな時もラクスを優先させる、自分のことなど二の次の人。
 だからこそキラはまだ命を投げ捨てることなどできないはずだ。
 あっ、とキラは現状を思い出したようで、小さく呻いた。

「さぁ。今度こそ、議長を止めに行こう……一緒に!」

 シンはキラに手を差し出した。

 キラは眩しいものを見るかの様に目を細めてシンを見る。
 その瞳には希望の光が確かに宿り始めていた。
 
「シンっ…」

 キラは銃を左手に持ち替えて、右手をシンの方へ縋るように伸ばしてくる。
 二人の手が触れ合おうとしたその時、



 パンっ!




 銃声が鳴った。