「此所にいるのですね」


 キラが失踪してから一年。
 ラクスはただ悲嘆にくれ、臥せっているだけの弱い女ではなかった。
 彼ともう一度逢う為に、あらゆる伝を駆使し、権力も振り翳した。
 全ては彼が生きていることを信じて。

 キラの捜索は困難を極めた。
 ガセ情報に踊らされることも少なくなかった。
 それでもラクスの精神は決して折れはしなかった。
 そして遂に有力な情報を手にしたのだ。
 もはやこれに賭けるしかない。


「ラクス様!やはり危険です。突入は我々だけで」
「いいえ。一秒でも早くキラに逢いたいのです」

 護衛兵達の説得も、堅くなに拒否する。
 だが彼等が止めるのが当たり前だということも分かっている。

 此所は非合法に造られた研究所。

 どんな危険があるのか分かったものではないところに、今や世界の要たる存在となっているラクスを連れて行くなど正気の沙汰ではない。
 そして此所に本当にキラが居た場合のことも彼等は危惧しているーー正確には、キラを発見した時のラクスの反応を恐れているーーはずだ。
 ラクス自身も早くキラを見つけたいと願いながら、此所にキラがいないことを少なからず願っている。

 此所は裏世界の闇。

 最悪の場合、いや、此所にいるならキラはもう死んでいて、尚且つその遺体は研究材料に使われている可能性が高い。ホルマリン付け、冷凍保存…あるいはキラとは認識もできない残骸があるだけかもしれない。
 それを目にした時、果たして自分は発狂せずにいられるのかは、正直自信が無い。
 それでも逃げたり、他人に任すことなどできない。これはキラに一番近しい存在だったと自負しているラクスの役目なのだ。
 もし此所にキラがいて、予想通りの最悪の事態になっていたとしたら、その亡骸と共に逝こう。

 ラクスは護衛兵達を振り切って、研究所に足を踏み入れた。
 覚悟を心に決めたその歩みに迷いは無い。

 中は暗く汚れていて、機械も全て機能停止している。一見するともう何十年も昔に廃棄され、最近人が使っていた形跡は無いのだが、地下に降りるエレベーターだけは、比較的綺麗で、稼働もしている。地下には人が出入りしている証拠だ。
 ラクス達が乗るとエレベーターは地下へと降下し出す。
 ここまでは順調だった。
 が、肝心の研究室の扉は、指紋照合に二重のパスワードの細工がなされていた。

「……念入りですわね」

 その手のスペシャリストも同行させてはいたのだが、それでも解除には数十分を要した。キラならものの数分で解いてしまえるだろうにと思いながらも礼を言い、解除された扉が開いていくのを待った。


「!」
「ラクス様っ!これは…」

 空気の入れられた重力の存在する地下最奥の研究室には、研究員の死体がそこらかしこに転がっていた。

「……何かあったようですわね」

 研究員達を痛む気持ちは生まれてこなかった。
 何せ、この研究室内を見渡せば、その研究員達に命を弄ばれた被害者達のグロテスクな成れの果てが広がっていたからだ。
 あまりの惨状に、可哀相な被験者達に祟り殺されたのではないか、と非現実的なことを考えさえした。もしそうだとしても、彼等に文句を言う資格は無いだろう。
 実験台とされた者達に哀れみを、研究員達に侮蔑の視線を送りながら、研究室を見回して行く。

 生存者はやはり0か……。

「ラクス様!」
「何かありましたか?」
「隠し部屋が!」

 厳重にロックされた扉を先ほどの倍の時間をかけて開ける。

「っ!」

 中に入るとやはり研究員数人が死んでいる。だが息を呑んだのはその為ではない。
 茶色い髪に紫の瞳の老若男女様々な遺体も転がっていたのだ。
 ラクスは震える身体を叱咤して気丈にも、その遺体の顔を全て見ていった。



 どれもキラそっくりでーーーキラではなかった。


 ひとまずホッとしたラクスは思わず足が緩まり、後ろにあった装置に蹴躓いてしまう。

「ラクス様!」
「大丈……夫…」

 蹴躓いた原因でもあるガラス張りの大きな半球体に乗っかるように掴まり、倒れるのを防いだラクスは、その中身を見て言葉を失う。
 見たこともない装置の中には人が一人いた。装置の中で丸まっているのは―――


「キラっ!!」


 分かる。ラクスには分かる。
 本物のキラに間違いない。
 五体満足でキラがガラスを隔てたすぐそこにいる。

「キラがいました!早くっ!早くこれを開けてくださいっ!」

 ラクスの叫びに部下達は、直ぐさま装置の解除を行い始める。
 その間、ラクスはキラを呼び続けたがピクリとも反応しない。
 声が届いていないのか、意識がないのか。死んだように眠っているのではなく、眠るように死んでいるのか。

「ラクス様。開けます!!」
「キラ!」

 部下を押し退けてラクスは、開口と同時にキラを抱きしめた。

 “ドクッドクッ”

 心臓の音。
 確かな血の流れを感じる。
 死んでなどいない。

「良かった…キラ」
「ん…」

 腕の中の身体が身じろぎをした。
 そっと腕を緩めて顔を覗くと、ゆっくりとキラの瞼が開いていくところだった。


「キラ」


 呼び返してくれる声を待った。

 だがキラが口にしたのは別の言葉だった。



「きみ………だれ?」



 久しぶりに聴く愛しい人の声は、甘く――――――残酷だった。

 聡いラクスにはすぐ解ってしまった。



 今の彼にとって、自分は知らないヒト。