「……出よう」
「え?でも、お茶……」
「いいから!」

 閉店間際の此所ではゆっくり話ができそうにない。
 少女の手を引きながら、さっさと会計を済ませる。

「来たっ!来たわよ」
「うわぁ。ドラマみたい」
「やっぱり、彼女も美人ねー」

 店を出る直前に、後ろでそんなウェイトレスのこそこそ声が耳に入ってきたが、もうどうでもいい。


 今、手を繋げている存在以外、全てがどうでもよく思えてきた。




 しばらく引っ張るように、足速に歩いていると、抗議の声が上がった。

「ねぇ。お茶を飲む約束は?ぼくが遅かったから怒ってるの?でもさぁ、時間指定はなかったんだし、ギリギリ今日に来れたじゃない」

 キラと同じ亜麻色の髪。
 キラと同じアメジストの瞳。
 残酷なまでに彼の生き写しの少女。
 その少女が、『約束』をさも、自分がアスランとしたように言う。

「君は…誰だ?」
「酷いな。仮にも親友の顔を忘れたわけ?欠乏症にもほどがある」

 彼女は茶化すように軽く言う。
 だがそれは神経の逆撫でにしかならない。

「違う!お前はキラじゃない!」
「じゃあ、君にはぼくが何に見えるわけ?」

 問いに声が詰まる。

 何に?

 キラに似ている。
 でもキラではない。
 でもキラに似ている。頭は永久に続くループ状態だ。

「実は皆に内緒で性転換手術受けてね、この一年は雲隠れしてたってわけ」
「は?」

 普段なら絶対真に受けやない。
 だが他の人ならまだしも相手はキラだ。
 キラはどんな突拍子のないことも遣って退けるし……何より事実、目の前の彼は女性になっている。

「そうか」

 なんだか納得できてしまい頷いてしまったのだ。
 キラは呆れた様子を見せ、アスランを小突いた。

「真に受けないでよ。冗談だよ冗談」

 くすくす笑い出すキラにアスランの中の糸がキレた。
 何故この事態に冗談なんかを吐ける。神経がどうかしている。

「ふざけるな!!」
「唯一の成功体」

 先程の軽い調子とは違う、重く低く呟かれた彼女の台詞は冷や水のようにアスランの沸騰しかけた脳を鎮火させた。

「ぼくは被験者である『キラ』の遺伝子を元に研究所で生まれた。
その研究所の最終的な目的をぼくは知らない。ぼくが知っているのは彼等が『キラ』の完璧なるコピーを創ろうとしていたことだけ。
特に『キラ』の能力をね。
その能力を行使するには記憶も必要だから、ぼくは記憶も受け継がされているんだと思う。
容姿だけは多少ズレが出ちゃってるけど、容姿は彼等にとっては一番どうでもいい部分だろうし、彼と同じ年齢性別のコピーも何体かは見掛けたけど、何かしら欠損があって、廃棄処分されていた。
ていうかぼく以外は全部失敗作で廃棄処分されていっていた」

 淡々と述べていく台詞には何の感情もこもっておらず、逆に真実味が増して聞こえてくる。


「成功作はこのぼくだけ」


 これが真実だと言うのなら、先程の冗談の方がまだ笑えた。受け入れられた。
 キラをコピーして造られた――クローン?――少女は他に質問は?と最後に付け足してきた。

 質問は―――――ある。

 一番聞きたくて、聞きたくないことが。

「本物の…キラは?」

 ああ。と、彼女は忘れてたと言わんばかりの関心の薄そうな顔をした。

「死んだよ」

 さらりと残酷に答える声。
 聞いたことを後悔した。聞かなければ曖昧にしておくことのできた希望は打ち砕かれた。
 何故彼が亡くなったかなんて想像が付く。
 散々身体を実験材料にされた挙句に、殺されたのだろう。
 あるいは絶え切れなくなり自殺したのかもしれないが、どちらにせよキラはもう――――いない。

「大丈夫だよアスラン」

 何が大丈夫なんだ!
 何も知らない癖に!
 逆恨みだと分かっていても、アスランは彼女を睨んだ。
 そんなアスランの顔を華奢な両手で彼女はそっと包んで、微笑んだ。
 見たことのある笑顔。
 キラが相手を自分へと陥落させる時によく見せる、計算だか天然だか計り知れない微笑み。

「ぼくがキラ。キラの生まれ変わりとでも思ってくれればいい」
「もしお前がキラだというのならっ」

 このまま流されてはいけない。アスランは自分へと警告する。

「お前はこの世で一番誰が好きだ?」

 キラならアスランだとは、口が裂けても天地がひっくり返っても言うまい。
 彼は何百回聞いたとしても、決まって同じ名を言うだろう。
 彼女は言った。


「ラクス」


 彼が言うであろう同じ名を口にした。

「……確かにお前はキラだな」

 てっきり彼女はアスランに媚びる答えを―――――つまりアスランと言うと予想していたのに。肩透かしを食らった気分だ。それに無性に腹立たしい。

「なら何故俺の前に現れたんだ?それともラクスにはもう逢ってきたのか?」

 彼女は首を横に振る。

「ラクスを愛しているからこそ、君を選んだんだよ」

 意味が分からない。

 だがもう問い詰める気力はなかった。
 キラの言葉が不可解なのは、昔からのいつものことなのだ。
 解りやすく説明しろと言ったって、どうせ返ってくるのは、さらに不明瞭に変換されたキラ語に決まっている。

「もういい。疲れた……帰るぞ」
「うん」

 ごく自然にアスランは手をキラに差し出し、ごく自然にキラもその手を取った。

「ねぇ、アスラン。夕飯食べた?」
「いや、まだだが……」
「じゃあぼくが再会記念に、アスランの大好物のロールキャベツを作ってあげるよ」
「……キラのロールキャベツは前衛的過ぎるから遠慮しとく」
「あ〜!!まだぼくが隠し味に、お魚入れたのを根に持ってるわけ?ぼくはアスランの好き嫌いが無くなりますようにって願いを込めて入れてあげただけなのにー」
「嘘つけっ!完璧に嫌がらせだろ!俺は嫌いなんじゃなくて、アレルギーなんだ!おかげであの日俺は、じんま疹が止まらなかったんだぞ!?だいたい好き嫌いが多いのは、お前の方だろう。キラ!」

 もうコピーだか成功作やら、そんな単語は頭の中から消え失せてしまった。
 年齢や性別など些細なものに過ぎない。


   共有する記憶こそが、キラである証。


 アスランの中で、彼女は完璧に『キラ』になっていた。