ラクスが動揺を見せたのは、ほんの一瞬に過ぎなかった。
生きてまた逢えただけでも奇跡なのだ。
嘆く暇があったら、今この瞬間からまたキラの中にラクスを残していきたい。
「ラクスですわ」
「ら…くす?」
「ええ。キラ」
異変に誰もが気付いたのだろう。
歓喜に湧いていた周りも急速に冷えていく。
側近であるダコスタは気遣わしげにラクスを見た。
「ラクス様。彼はーーー…」
「オーブの別荘に、お医者様を至急手配して下さいませ。ダコスタさん」
「……は、はい」
気丈な彼女を前に、かけられる言葉などなかった。
こんな忌まわしい場所からは早く撤退するに限る。
ラクスはそっと、キラの腕を掴んで立ち上がらせて、そのまま歩き出す。キラは抵抗はしなかった。
「どこへいくの?」
「帰るのですよ」
「どこへ?」
「ひとまずはオーブの別荘に…その後はプラントに……いえ、そんなことはどうでも良いのです」
大切なのば場所ではない。
「貴方は私の元へ還るののですわ」
オーブの別荘に到着すると、まず連絡して待機して貰っていたクライン派専属の優秀な医者にキラの状態を検査して貰った。
「肉体的には何の問題もありませんよ。少々栄養不足なくらいです」
「そうですか。安心しましたわ」
「しかしーー…」
医者が口を濁らすのは嫌な報せに決まっている。
見当も付いていた。
「記憶喪失のことですか?」
「ええ。普通の記憶喪失、記憶障害なら、いつの日か、ふとした切っ掛けで記憶が戻る可能性も期待できるのですが、彼の場合、人為的に記憶を消去させられています。なのでーー…記憶を戻せる可能性は零に等しいです」
それでもラクスは嘆かなかった。
キラは突然の環境の変化についていけないのか、ずっとぼぉっとしていた。
前に出された夕食も、最初は食べずにただ眺めていた。
そういえば栄養不足と言っていたが、一体研究所では何を食べさせられていたのだろう。もしかしたら点滴や薬やらの食べ物とはいえないもので補給していたのかもしれない。
ラクスが手本に「美味しいですわよ」と食べ始めてみせたら、キラもそれに倣うように口に運んだ。一口食べると、気に入ったのかパクパク食べ始めた。
夕飯が一段落した頃、ラクスは本題に入った。
「キラの知っていることを教えて下さいませんか?」
「しっていること?」
キラは記憶を失ったせいか、幼児退行してしまったかのように口調がたどたどしい。
「ええ。……覚えていることを教えて下さい」
「なまえはきら…………んー」
どうやら自分のことは名前しか覚えていないらしい。
「えっと、いっぱいしろいふくのひとがいた」
研究員達のことだろう。
「他には?」
「ぼくとにてるこがたくさん。でもみなすぐうごかなくなる」
殺されたキラのクローン達のことだろう。
「でもひとりだけ……
ひとりだけずっとうごいてるこがいた。ぼくとおなじ。でもちがうおんなのこ」
「ラクス様」
調査員が調べてくれた資料に一通り目を通し、キラの言葉と照らし合わせる。
「………だいたい解ってきましたわ」
資料によれば一体だけ、実験の成功作がいたらしい。
外見は十六歳ほどの女の子。
だが、そんな遺体は研究所内に残っていなかったという。
おそらく、キラが言っていたのはこの子のこと。
この事実からラクスはこう推測する。
成功作は研究員達を皆殺しにして逃亡を謀った……と。
仮にそうだとして彼女は何処へ行くのだろう。
物思いに耽っていると、アスランに付けておいた密偵から連絡が入った。
ラクスにとって、アスランは元婚約者であり、戦友ではあったが、決して味方というわけではない。
念のために動向を探らせていたのだが、これまで特に懸念すべき出来事は起こらなかった。
よって密偵から定期報告外の時期に急遽、連絡は入ってくるなんて初めてのことだ。
しかもそれがよりによって今日とはーー…
「何かありましたの?」
『それが……アスラン・ザラに、ラクス様が探しておられるキラ・ヤマトに酷似している少女が接触してきました。少女は自分のことをキラ・ヤマトをコピーした成功作だとアスラン・ザラに説明し、彼も納得したのか、二人でアスラン・ザラの自邸に向かっている途中です』
「………盗聴した会話は録音してありますか?」
『はい。今から送ります』
盗聴した内容を聴き終わり、ラクスは全ての事の真相を把握した。
キラの無くした記憶を受け継いでいるコピー。
しかしいくらキラのコピーだからって、糸も簡単に落されるアスランには不甲斐な過ぎて呆れた。
だがそれでアスランが幸せだというのなら、それもありだろう。
何せ本物を渡すつもりはラクスには更々ないのだから。
けれど代用品になった少女は果たしてそれで幸せなのだろうかーー…。
ふとラクスの影武者を演じ、使い捨てられた憐れな少女のことが頭の隅に過ぎる。
が、今は……いや昔もこの先も自分には感傷に浸っている時間などないのだ。
ラクスが泣けるのはキラの前でだけ。
そして今はそのキラを今度はラクスが支える番なのだ。
「ふぅ。もう夜更けですわね。本当に色々あった一日でしたわ」
彼はもうきっと眠っていると思い、そっと扉を開けたのだが、予想に反してキラは起きていた。
ラクスの顔を見ると、ベットから降りて抱き付いてきた。
その仕草はまるで子供だ。
「あらあら。どうしましたの?」
「……ねむれない」
「ではお歌を歌って差し上げましょう」
「うた?」
ラクスは小さな声で歌を唄い出す。
それはキラへの愛を綴った歌詞であったが、今のキラがそのことに気付くことは決してないだろう。
心地の良い緩やかなメロディは、子守歌にちょうど良いはず。
キラの目が虚ろになってゆく。
キラは小さく呟いてから、完全に眠りに落ちた。
「らくすのうた、すき」
『ぼくは、ラクスが一番好き』
「ねぇ。キラ。私も貴方が世界で一番大好きですわ」
キラが記憶を無くしてしまっても、ラクスは覚えている。
キラが確かに自分を愛してくれていたことを。
色褪せることの無い素敵な思い出と、今腕の中にいるキラ。
消えない貴方だけが真実。
「キラ。私は貴方のもので、貴方は私のもの。何があっても変わらぬ愛を貴方に誓います」
ラクスはキラの頬に誓いのキスを落とした。
|